変わった人募集の波紋

ホームページの募集広告に「変わった人大歓迎」として、自分がどう変わっているか400字程度で記載したら理事長が直接面談します、と書いた。

残念ながら、400字の自己評価を書いて私との面接に臨んだ方は一人もいない。そればかりか、このホームページを見て辞めると言って退職する看護師が出現し、即刻消去せよとの要求が人事担当者からぶつけられる羽目になってしまった。

 「自分は変人ではない、ここで働いていたら友達から変人扱いされかねない。」と言うことらしい。

言葉足らずを承知で載せたコピーだが、このようにとられるとは・・・

正直なところ、説明が必要だとは今でも思っていない。

しかし、これ以上スタッフがいなくなってしまったら、私が看護に走り、ケアを行い、リハビリまでやらなくてはならなくなりそうである。それも困ったことであり少し説明を付け加えることにした。(本当は面白くないけれど)

 

「看護師に負けない医者」

 

医学で看護師に負けるようでは使い物にならないに決まっている。新人の医師のようにベテラン看護師に教わって医師のまねごとをするのは1年で卒業して欲しい。しかし看護師に負けないくらい患者の生活を見つめることのできる医者は多くはいない。

 

「ケアスタッフに負けない看護師」

 

 これも同じ、看護で競争してはお粗末である。医療処置など専門性が高くなればなるほど利用者を丸ごと人間としてみることがおろそかになり、利用者との人間としての1対1の付き合いが難しくなる。医療処置の無い患者さんへの訪問看護が出来ない看護師も少なくない。

 

「機能訓練が嫌いなリハスタッフ」

 

これも同じ。機能訓練のできないリハ専門職はいない(と思う)。私たちの目的は患者さんの幸せを実現することである。高齢の在宅患者さんの幸せを考えた時、機能訓練はそのための一つの道具に過ぎない。患者さんの幸せは人それぞれであって、機能訓練のゴールとは別である。その幸せの実現へのお手伝いがしてほしい。機能訓練が好きなひとは、機能の向上を夢見て、その人の幸せを受け止めそこなう時がある。

 

「起業したいケアスタッフ」

 

正直悩んでいる、ケアスタッフのステップアップでどれだけの収入を保障することが出来るのか。肉体労働はいつまでも続けられない(5歳の子供の力があればいいという新鮮な言葉に今新しい方向性を見出したいとは思っているが)どうしたら豊かな生活を保障できるのかと・・・

 

「スポーツおたく」

 

今や生活習慣病、ロコモティブ症候群・・高齢者を生き生きコロリに導く第一の力は運動であることがはっきりしつつある。職員は健康であってほしい。

 

「・・・おたく」

 

変わっていると人から見られることが多いであろう。

 

 

さて「変わった人」である。

 

あいち診療会は設立以来在宅医療の分野では制度になくても、利用者にとって必要なサービスについては先駆的に実践して提案してきた。

 

あいち診療会は医療の世界でイノベーション集団でありたいと考えている。

その意味で横並びに安心するスタッフだけでは前に進めないのである。

 

最後に「認知症になった私が伝えたいこと」を書かれたアルツハイマー病の佐藤雅彦さんの「おわりに」の一文を紹介する。

 

『私は、苦しみ、もがき続けた結果、何かに情熱を持って生きることこそが、 本当にすばらしいことだと気がつきました。

はたから見ればつまらなく思えるかもしれないことでも、やっている本人が 情熱を注ぎ込むことができれば、それで十分だと思います。

生き方は、人それぞれ違っていて当たり前です。むしろ、人と違うことに、より価値があると思います。

人間の価値は、「あれができる」「これができる」ということで決まるのではありません。

もし有用性で価値が決まるのなら、人生は絶望的です。なぜなら、人は年をとると、できることが少なくなるからです。』

 

私たちの主たる顧客は高齢者である。

変わっていることに不安を持つ人が、人の違いを大切にできるのだろうか。

 

辞めていった看護師は決して出来の悪い看護師ではない。

しかし私たちは去る者は追わない。

「よそで働き、ここの良さが身に沁みたらまた戻っておいで」

これが最後にお送り出す言葉である。